【意識改善】ジャニーズ「全員参加必須」のコンプライアンス講習・・・果たして成果発揮できるのか!?

 

株式会社ジャニーズ事務所

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(ジャニーズじむしょ)は、日本の芸能プロダクションである。

 

創設者のジャニー喜多川は、その前半生を第二次世界大戦戦時中の一時期を除いて

アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルスで過ごし、その間米国西海岸の

エンターテインメントの世界に浴びるように触れる。

 

また、両親の母国の敗戦により日本がまだ連合国軍の占領下にあった1950年頃から日本の

芸能人が箔附けのために渡米するようになり、父の諦道が日本仏教の高野山真言宗米国別院の

主監をつとめていた都合上、それらの寺院を公演場所として貸与しており、ジャニーはここでも

エンターテインメント業に触れる一方で、美空ひばりを筆頭に錚々たる芸能人と面識を持った。

 

1962年、渡辺プロダクションの系列会社としてジャニーズ事務所が創業される。

初代ジャニーズは生放送の舞台ショーであった『夢であいましょう』などに出演する。

1968年にデビューしたフォーリーブスは、当時全盛期を迎えていたグループ・サウンズ(GS)の

流れに乗り、「楽器を持たないGS」と通称される。

1970年代に入りGSが下火に入ると、変わって台頭したソウルミュージックの路線に切り替える。

 

アイドル的路線の確立

1970年代前半、GSのグループやメンバーはそれぞれアーティスト性を強めていた(ニュー・ロック)。

また米国の音楽文化の中では、政治的な自我を前面に強調したフォークソングが新たに誕生し、

日本においても吉田拓郎、井上陽水、中島みゆきらが人気を博していた。

しかしジャニーズはあくまで非日常な舞台を演出する方針を堅持した。ジャクソン5を模した

明るいソウルミュージックに転向し、軽快でポップな舞台を「演じる」路線をとったのである。

1972年、郷ひろみのデビュー

1977年にデビュー川崎麻世、1980年にデビューした田原俊彦もこの流れを継いだ。

舞台演技として一番経験を積んだのは、少年隊である。

1987年デビューの光GENJI

 

お茶の間のタレントの誕生

1970年代半ばからテレビが普及するにつれて、「日常で各家庭のお茶の間に居ながらにして

わずかな非日常的空間を楽しむ」、というスタイルが誕生する。

この潮流の主軸をなしたのが、『スター誕生!』に関わった阿久悠であった。

ジャニーズでこの新たな潮流に最初に合致したのが、近藤真彦(1980年デビュー)である。

 

1980年代に入ると男女両方のアイドルの大衆化はさらに進み、歌やダンスなどの「実力」よりも

個性などの「魅力」がより、女性アイドルに限らず男性アイドルにも求められるようになる。

シブがき隊(1982年デビュー)は歌やダンスの技量不足をカバーするために、音楽の企画性を

追求した。

続く忍者(1985年デビュー)は楽曲やパフォーマンスでジャポニズムを前面に押し出した。

 

男性アイドルのマルチタレント化

1991年にデビューしたSMAPは、当初は光GENJIを模した華やかなコンセプトでスタートしたが、

セールス面で事務所始まって以来の低迷を続ける。

当時SMAPにバラエティ番組やドラマに積極的に進出させる。

お笑い方面への進出自体は過去のタレントも行っていたが、SMAPは手加減することなく、

本職の芸人も顔負けの本気でコントに臨んだ。

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SMAPはバラエティと音楽パフォーマンスを両方こなすことで、スター性がありながらより

身近な存在であるという唯一無二の存在位置を獲得することに成功した。

既に完成された完璧さではなくてそのメンバーの「物語」を見せ、ファンの共感を呼ぶという

手法は、2000年代の男性アイドルの基本形となり、何よりジャニーズ事務所のほかの

所属アイドルの模範ともなり、以降ジャニーズ事務所は男性アイドル界で圧倒的な勢力を築くに

至った。

 

 

 

この経緯の乗ってジャニーズを構築させようとしているんだろうね・・・

 

 

 

はたしてこのコンプライアンス講習は成果が

出るのだろうか・・・

 

 

 

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